日本文化の「道」9
「茶道」の茶人とその言葉
村田珠光の「心の文」

村田珠光は、室町時代、のちに京都で町衆として財をなし、茶の湯や連歌に親しむようになります。
当時の一般的な茶の湯は、美しく飾った広間で、唐物など中国や大陸からの高価な舶来品を使う、きらびやかなものでした。
珠光はそれらの華やかな茶会に触れながらも、次第に独自の茶の湯を模索し、小さく質素な部屋で、簡素な道具を使うという茶の湯の世界を作り出しました。
このような余計なものを省いた中に美しさを見出し、集う人ひとりひとりに心の通ったもてなしをする茶の湯はわび茶とよばれるようになり、珠光はわび茶の祖と言われるようになりました。
彼が弟子に宛てた書簡には、茶の湯に対する真摯な心構えが記されています。
それは「此道、第一わろき事、心のかまんかしやう也」という一節から始まります。
大意は、茶の湯の修行において、我こそはと慢心することや、執着して我を張ることが一番忌むべきことであるということです。
これが最初にあるため、この文章は「心の文」と呼ばれます。
珠光はこの「心の文」の中で、初めて茶の湯を人の生き方の「道」として論じ、それこそが彼がわび茶の祖とされる理由でもあります。
また、彼はその中で、「和漢のさかいをまぎらかす」と書いています。
それまで茶の湯で重きを置かれていたのは、唐物などの高価な舶来品の道具でした。
しかし、彼は日本国内で作られる和物を唐物と調和させ、新しい美としてとらえる茶の湯を作り出しました。
彼はまた、「月も雲間のなきは嫌にて候」という文章も残しています。
これは、煌々と明るく輝く満月よりも、雲間に見え隠れする月のように、不完全なものや不足の中にこそ美があると考えることです。
珠光の「心の文」には、彼が生み出したわび茶の主張が込められています。
武野紹鴎

武野紹鴎(『肖像集』)
武野紹鴎は堺の豪商で、村田珠光の孫弟子にあたる茶人です。
彼は村田珠光が提唱した「心の文」の侘び茶の精神を受け継ぎ、遊興の色が濃かった茶の湯を、わび茶として芸術性と精神性をより研ぎ澄まし、深く進化させました。
彼の残した『紹鴎遺文』に含まれる「紹鴎門弟への法度」には、「きれいにせんとすれば結構に弱く、侘敷せんとすればきたなくなり」という文章があります。
大意は、きれいにしようとすると、華美で弱々しくなり、わびしさを出そうとすると汚らしくなってしまうということです。
紹鴎はこの一文で、無理にわびさせようとすることを慎むよう戒めています。
茶の湯の経験や修行を重ねていくと、次第に人格が磨かれていき、自然にわびてくるというのが、紹鴎が示したわび茶の境地でした。
千利休

絹本著色千利休像
(長谷川等伯画、春屋宗園賛、不審菴蔵、重要文化財)
千利休は今日に続く日本の茶道を大成させ、茶道の家元の三千家の祖となり、「茶聖」とよばれる大茶人です。
彼は安土桃山時代に堺の裕福な商人の子として生まれ、武野紹鴎に茶の湯を学び、村田珠光により提唱されたわび茶を確立します。
次第に利休は織田信長や豊臣秀吉の茶頭をつとめるようになり、その権威は絶大なものとなっていきます。
利休は秀吉の関白就任記念として行われた禁裏茶会では、正親町天皇に茶を献上する秀吉の後見役を務めます。
その時、利休は正親町天皇より「利休居士号」を下賜され、名実ともに天下一の宗匠となったのでした。
天下人豊臣秀吉の側近であり、天下一の茶人となった利休でしたが、次第に秀吉との仲はこじれていきます。
今なおその原因は大きな謎と言われているのですが、最終的に利休は秀吉に切腹を命じられ、その人生を終えることになります。
利休亡き後も、利休七哲と言われる茶人たちをはじめとして、利休の多くの著名な弟子たちにより、茶道は後世に広められていきました。
利休の茶の湯は養子の少庵へ伝えられ、大徳寺での修行を終えた少庵の息子元伯宗旦は、千家の再興を果たします。
のちに千家は表千家・裏千家・武者小路千家と三千家に別れますが、千利休が創り出した茶の湯の道は、現在も「千家」という家で護り継がれ続けています。
四規七則

千利休の遺した茶道の教えはたくさんありますが、代表的なものに「四規」と呼ばれる「和敬静寂」や、「茶道七則」があり、茶の湯を学ぶ者の指針となっています。
四規「和敬静寂」
和 主人と客が一椀の茶を介して、互いに心が通い合い、席中のどの部分をとっても心地よく過ごせるように務めること。
敬 主も客も、上下のある関係でも、どんな時やどんな場所でも、互いに慎み合い、互いに敬い合う心で接すること。
清 茶室に入る際、手水鉢で手を洗い口を漱ぐのは、汚れを落とすためだけでなく、心身を清める意味が込められています。
寂 静かに落ち着いて、どんなことにも動じない心を持てるようになれば、ゆとりをってやっていけるという心の大きさが生まれます。

「茶道七則」
一「茶は服のよきように」
客(茶を飲む人)にとって、ちょうどよい加減でお茶を点てることが大切。
二「炭は湯の沸くように」
お湯がよい加減で沸くように、炭をほどよい位置に配置する。
三「夏は涼しく、冬は暖かく」
夏冬それぞれ季節に応じて、お茶の温度を調整する。
四「花は野にあるように」
茶室の花は、自然の中にあるがままの美しさを活かし生ける。
五「刻限は早めに」
余裕を持って早めに行動し、茶席の時間を守ること。
六「降らずとも雨の用意」
天候や急な変更などにも対応できるよう、変化に備え準備しておく。
七「相客に心せよ」
同席する客を思いやる心を持つこと。
簡単なことのように思えますが、いつでもどこでも変わらず、当たり前のことを当たり前のようにやるということは、なかなかできることではありません。
他にも「利休百首」他、利休は多くの名言を残しています。
利休の名言は、シンプルだけれども深くて厳しい、茶の湯や人の生き方に対する心得や忠告が詰まっています。
利休梅文様の風呂敷
利休が好んで使ったというのが利休梅文様です。
五つの点とそれを結ぶ線で描く梅は、簡素だけれど清らかな美しさがあり、まさにわび茶を大成させた利休好みという意匠です。

利休梅文様帛紗