日本文化の「道」2
茶道 茶道の歴史

日本の伝統文化の「道」といえば、最初に思いつくのが「茶道」でしょう。
茶道は、もともと遣唐使が中国から日本にもちかえった茶葉や茶を喫することでした。
茶葉を粉末にして飲む製法は、平安時代後期、宋から栄西禅師が持ち帰ったと言われています。
博多遺跡からは栄西より前の時代に、抹茶を飲む茶碗が見つかっているという研究もありますが、どちらにしても茶葉を粉末の抹茶にし、それに湯を注ぎ攪拌して飲むという方法が、現在の茶の湯に繋がっています。
鎌倉時代になると、この喫茶方法は、禅宗寺院で広がっていきます。
禅宗は当時の武士たちにも信仰され、喫茶の文化は、武家の間でも重用されるようになります。
武士の社交の場であった会所では、武士たちは茶を喫するだけでなく、連歌や香会などの文芸文化を嗜み、日中貿易で手に入れた茶碗などを「唐物」として飾り、観賞して楽しみました。
茶の湯が寺院だけでなく、公家や武家などに広まっていくと、社寺の門前には参詣する人々に茶をふるまう店が現れ、次第に農民も茶を楽しむことが出来るようになっていきます。

室町時代も武家を中心に、唐物を珍重する風潮は根強く残っていましたが、新たに普段の暮らしの道具を使う、侘び茶の文化が登場します。
侘び茶の精神は、茶人村田珠光の手紙「心の一紙」の一節「和漢之さかいをまぎらかす事」によく表れています。
この言葉は唐から輸入した高級で珍しい唐物(漢)と、日本(和)で作られた茶道具をどちらも同等に扱い使うことが大切である、と説いています。
侘び茶は多くの町衆や商人の経済活動と共に広がり、様々な茶道具が作られ、名物茶道具も生まれました。
戦国の武将たちは、こぞってこれらの名物茶道具を収集し、中でも織田信長は「御茶湯御政道」と称し、茶の湯や茶道具を政治的な権威付けに利用しました。
信長の次に天下人となった豊臣秀吉は、禁中に黄金の茶室を運んで行った禁中茶会や、大徳寺や北野天満宮での大茶会を催して、茶の湯を使って自らの権威を世間に示しました。
彼らに仕えた茶人の千利休は、天下人の茶を体現する一方で、自らの審美眼によって独自の道具と茶の世界を生み出します。
利休は高価な唐物の代わりに、素朴で自然な風合いの道具を使い、茶室という小宇宙で、一期一会の心で亭主と客の間を繋ぎました。
彼の類まれなる美意識は、「侘びさび」の世界を究極まで研ぎ澄ましていきました。

利休は「利休七哲」と呼ばれる高弟の武将をはじめ、多くの弟子も育てました。
その一人、古田織部は、師匠である利休の侘びさびの「静」を大切にしながらも、大胆で斬新な「動」の造形美と茶の湯を確立しました。
利休の孫である宗旦は、華やかな織部とは対照的に、簡素で静謐な侘び茶を継承しました。
その後、宗旦の子どもたちは、表千家、裏千家、武小路千家の「三千家」を興し、流儀化して家元制度により、利休の侘び茶の精神を今に伝えています。
また、小堀遠州の「綺麗さび」、金森宗和の「姫宗和」などの武家茶道をはじめ、公家や僧侶の間でも、それぞれに茶の湯が確立していきます。
そして、本阿弥光悦に代表される裕福な町人の間でも、茶の湯は流行していきました。
江戸時代には、黄檗宗開祖の隠元禅師が、明時代の新しい喫茶法である煎茶を日本に伝えました。
近代になると、文明開化により日本の伝統文化は衰退と存亡の危機を迎えます。
茶の湯も例外ではなく、大名などの庇護がなくなり、多くの茶道具が海外に流出していきました。
そんな中、茶道の家元たちを中心に茶の湯文化を継承する努力と変革が試みられ、椅子とテーブルを用いた立礼(りゅうれい)など、時代にあった茶の湯も考案されました。
またこの頃、学校教育に茶の湯が取り入れられるようになり、礼儀作法や花嫁修業として嗜まれるようになりました。

政財界にも茶の湯に興味を持ち、名物茶道具を収集し、風雅な茶室や空間作りをして、茶の湯を楽しむ人々が出てきました。
彼らは伝統的な家元茶人と違い、自由な感性で茶道具のコレクションと茶会を通じて活動しました。
益田鈍翁、根津嘉一郎、五島慶太、など、独自の茶風を築いた実業家たちは、近代数寄者と呼ばれました。
現代は、いわゆる流儀に入門して茶道を習う稽古人は、以前より少なくはなりました。
しかし情報化が進み、目まぐるしく変化する今、茶道は改めてビジネスパースンや若い世代に見直されてきています。
長い歴史の中で培われた茶道の「道」は、伝統文化や総合芸術だけでなく、人の心を磨き上げてきました。
茶室や茶道具など日本の伝統文化だけでなく、和の精神性の豊かさに触れることが出来る「道」が、茶道に触れたことのない人々の心を惹きつけているのだろうと思います。

ビジネスパーソンの風呂敷包み
こちらは国内外での大学を卒業され、トップ営業を経て、現在は会社経営者として活躍されているビジネスパーソンの風呂敷包み。
この方はご先祖が残された歴史的建造物や美術品を継承していかれる立場でもあられ、茶道は必須と入門され学ばれています。
稽古や茶会のため、着物をお召しになるようになり、持参する際に風呂敷で包むようになられたそうで、その際の風呂敷包みです。
風呂敷は茶道を学ぶ際の着物も包みます。
